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江東区の地理・歴史

江東区は徳川家康の入府以来、城下町として江戸城を中心に掘割の開鑿や低湿地の埋め立てによって開けた場所です。江戸の初期に深川八郎衛門が森下周辺の新田開発を行い後に砂村新左衛門一族が宝六島周辺の新田開発を行ったのが江東区の始まりです。東京湾の埋め立てにより江東区は今でも南に広がり、人口42万人を超え東京でも6番目に広大な区となっています。

江東区は大まかに3つのエリアに分けることができます。墨田区に近い北西部の深川地区。この地域は、かっては木材業で栄え、富岡八幡宮や深川不動堂といった古社や古刹も多く、 江戸情緒を残した伝統、文化が息づく町です。江戸中期にはこの地区の南端まで海が迫り、小名木川を中心に水運が栄えていました。 江東区の東側は城東エリア、旧中川と荒川に接した亀戸を中心とした地区です。家屋やマンションが立ち並ぶ住宅街のほか、昔ながらの商店街など、下町情緒も色濃い地域です。東西に走る永代橋通りを境目にし、その南に位置する臨海エリアは、関東大震災までは海でした、その後、埋め立て・開発が急速に進み、今や、臨海副都心と称され、近代建築の推移を集めたビルや高層マンションが林立し、またアミューズメント施設も備え多くの人々を招いています。さらに東京湾に面した南端部には、広大な埋立地を利用してキャンプ場やゴルフ場も作られ、都心にいながらアウトドアライフを楽しめる地域でもあります。

豊かな水に囲まれて、広々とした空の下、江戸情緒を残した伝統と、近未来のイメージが交じり合って多彩な顔を有しているの江東区です。 そして江東区は関東大震災、東京大空襲での大きな被害を受けながら、その災害を乗り越えた都市再生の活力のある地域であることも大きな特徴です。災害の復興に不可欠な人と人をつなぐコミュニティが息づく町であったのでしょう。

江東区と災害

東京湾に面した他の地区と同様、江東区も埋め立てにより、拡大してきた地域で、ほとんどが低地帯です。ですから、水防対策がこの地域にとって、防災上、非常に重要なことになります。江東区は東京湾の奥に位置していることから、津波や高波による心配はほとんど不要です。それよりも、大雨や集中豪雨などで、下水の処理能力を超える降雨の際に、区内の各地が浸水する恐れがあります。区では、浸水が予想される区域と想定される浸水の深さを示した大雨浸水ハザードマップを作って住民に提供しています。

また、区内を網の目のようにはりめぐらされている掘割には、水門が多く設置され、大雨、集中豪雨、あるいは高潮などによる水位の変化に対応するように設計されています。埋立地の常として、地震があった時には液状化現象が心配されますが、耐震基準変更後に建築された建物は、液状化への対応が考慮されています。

江東区には臨海地区に多くの高層マンションが建設され、区外から多くの人が流入しています。新しく住民となった人びとは、昔ながらのコミュニティとは比較的無縁の生活をしている場合も多いようです。災害時には、コミュニティ内の協力が、重要になります。希薄な人と人のつながりを密にしていくことが災害対策の一つとも言えます。